2月15日(金)に横浜情報文化センター(横浜市中区)で開催された、横浜国立大学地域連携シンポジウム 〜ヨコハマ・かながわの潜在力を活かした地域連携を探る〜でポスター展示を行いました。
本シンポジウムは、横浜国立大学が保有する研究力や教育力を地域問題解決へ還元し、大学として積極的に地域連携活動を推進する活動の一環として実施されたものです。
ポスター展示は、地域連携ディスカッションと題し、学生や教員が進める様々な地域の研究や活動内容を対話形式で紹介するセッションです。今回はUDCCの会員であり、かつ、横浜国大の教員でもあるメンバーが活動責任者となり、昨年から横浜国大の地域連携推進機構が運営する、「Next Urban Lab活動」にテーマ登録して進めて来た、「ちがさき遺跡まちづくりプロジェクト」の概要を紹介しました。
シンポジウム会場(ホール内)の様子
ポスター展示スペースの様子
野崎治男さんは、小出地区まちぢから協議会 下寺尾遺跡部会のメンバー
1300年前の下寺尾官衙遺跡群の場所が、どのように移り変わってきたのか…。遺跡の現代的価値を知る上で重要だと考えています。
郡衙(役所)跡がグラウンドから発掘された県立茅ケ崎北陵高校。この地に生まれ育ち70歳になられた野崎治男さんに高校が建設される前(1964年以前)の様子を伺いました。
郡衙は台地の上にあり、崖の下に古代寺院(七堂伽藍)がありました。崖の土手は今よりなだらかで、小学5年生ごろの野崎さんは「生えていた茅を押し倒し、古いトタン板をそり代わりにして滑り降りる。茅は意外と脂分があるので、すごい勢いで滑るのですよ」。思い出すだけでも楽しそうなご様子。
「崖の上の方に林がありました。屋敷の北側の防風林というか、農道に沿ってありました。今でも結構、残っているところがあります」と教えていただき、常々、魅力的で何だかとても気になると感じていた緑がその痕跡だと知りました。
約60年前の下寺尾官衙遺跡群の景観が、また少し浮かびあがってきました。引き続き、地元の方々へのインタビューを続けます。
野崎さんが子どものころ遊んだ崖の土手=2012年3月撮影
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